百合とは何か 2022年版

目次

  1. 2018年に到達した答え
  2. 百合とは何かを考えるべきか
  3. 百合好き、百合オタクという言葉の情報量
  4. 百合とは何かの脆弱性
  5. 百合というタグをつけるべきかどうか
  6. 結論

本記事では、2018年に一度解答を得た百合とは何かという問いをもう一度考えます。

2018年に到達した答え

当時の記事には、 女の子同士の心のつながりが見えるもの と書きました。
これが女性同士の関係や感情そのもの、あるいはそれにフォーカスしたものであるという理解は、4年経った現在でも変わっていません。

しかし先日、別の記事で、この定義を必要十分なものであるとみなすべきかどうかには議論の余地があるとも書きました。
ひとまずの解答を得てから4年。ずっと引っかかっていたことについて、いよいよじっくり考えるときが来たのではないかと、昨今の百合作品の展開を見てそう考えたわけです。

百合とは何かを考えるべきか

何か対象物1を百合(作品)であるかどうか、判定し語るためには、百合とは何かという問いに対する答えを持っている必要があります。
そして、語り手と聞き手でその答えを共有していない限り、互いの判定結果は必ずしも一致しません。

2018年にたどり着いた答えは、他人の百合を否定しないものでした。
百合という言葉が指す領域を不当に限定せず、女性同士のあらゆる関係や感情、そしてそれにフォーカスしたものを百合として受け入れるものでした。
「肉体的なつながりを描くものではなく、精神的なつながりを描くものこそが百合である」「百合とレズは違う」という、化石のような無理解や、それに対して烈火の如く怒る百合オタクたちを見て消耗していた当時の筆者にとって、この答えは救いでした。

もう誰も他人の百合を否定しなくても良いし、誰も自分の百合を否定されることはない。
その理想を凝縮した答えだったのです。

対象が百合でないと言い切るということは、もしかしたら誰かの百合を否定することに繋がるかもしれません。
かつて浴びせられた化石のような無理解と同じレベルに落ちないためには、百合とは何かという問いに対する答えを明確に言語化できる必要があります。

百合という言葉の意味を不当に限定すべきではないが、あらゆる対象を百合と言い切るのもまた無法であるため、百合という言葉の意味を適切に限定したいという要求があるのではないか。
もし自身の内にその要求があるのだとすれば、百合とは何かを明確に説明できなければなりません。

百合好き、百合オタクという言葉の情報量

百合好きとはいったい何でしょうか。
様々なコンテンツ・ジャンルの中で特に百合が好きな人を指す言葉である、とするのが最も素直な解釈だと思います。

しかし、実際にはそれだけで説明が足りるのかどうか、考えてみます。

百合が好きであることの他に、異性愛を主題とする作品2や、いわゆる男性主人公のハーレムモノが嫌いであるという情報を含んでいはしないだろうか、という疑問があります。

筆者も、異性愛を主題とする作品には積極的に触れたいと思わないし、男性主人公のハーレムモノにはある種アレルギーに近い反応を示します。

では、ある人が百合好き(百合オタク)であるということと、その人が男性主人公ハーレムモノを楽しめるということは、共存しないのでしょうか。
必ずしもそうではないはずです。

「百合好きならば、必ず異性愛を主題とする作品は嫌いである」という命題が真であるとするのは、かなり乱暴な理屈であるように思います。
「百合好きは男性主人公ハーレムモノを嫌う傾向にある」は真かもしれません。3

結局、今のところは最も素直な解釈以上に情報を足すべきではなさそうです。

視点を変えて、「百合好きならば、必ず**(百合そのものを除く任意のジャンル・作品名)も好きである」も、真であるとは言い難いでしょう。
好みが各々違うことは、百合という言葉の意味の広さを考えれば明らかなことです。
百合というジャンルに分類される全てが好きである、などと言い切れる人が果たしてどれだけいるものでしょうか。

つまり、百合好きとは、百合というジャンルに分類し得るコンテンツや小ジャンルのうち、何かひとつ以上に含まれる百合要素を特に好んでいる人という意味になりそうです。

まとめると、百合好き・百合オタクは、必ずしも男性主人公ハーレムモノを嫌っているわけではないし、全ての百合好き・百合オタクに共通して愛されるコンテンツ・小ジャンルは存在しない4ということです。
「**も好きなのに百合好きを名乗るのか」「**が好きじゃないのに百合好きを名乗るのか」という無配慮な言説は厳に慎むべきでしょう。

百合とは何かの脆弱性

ここからは、少し品のない話が混ざってきます。
百合とは何かという問いに対して、女性同士の感情や関係、それにフォーカスしたものであるという答えを得てから、今に至るまで答えを出せていない問いがひとつあります。

この定義は、百合を表すために必要十分なものであるか。

この定義が、百合であるための必要条件であることには特に疑いようがありません。5
では、十分条件とみなしても良いのか。
女性同士の関係や感情、それにフォーカスしていさえすれば、他の要素がどうあれ対象を百合(作品)に分類すべきか。

もしそうであるとした場合、多くの百合オタクにとっての地雷であろう6百合を考えることができます。

例えば、女性同士の関係が外的要因7で壊れる様を描いた作品です。

社会的な要因によって引き離されてしまう悲恋の話8であったり、暴力や薬物によって女性ふたりのうち一方か両方が再起不能になってしまう話も、ふたりの関係や感情にフォーカスしている限りにおいて、百合というジャンルに分類されることを認めなければならなくなります。

ふたりの恋愛感情が男性に向けられていたとしても、そのふたりの関係や感情にフォーカスしていれば、百合ジャンルに分類されてしまいます。9

筆者は、この定義を十分条件とみなさない場合に、代替となる十分な百合の定義を見つけることができていません。
そのため、現時点では百合を論じるために、「女性同士の感情や関係、またはそれにフォーカスしたもの」という定義を必要十分なものとして扱っています。

百合というタグをつけるべきかどうか

さて、多くの百合オタクにとって地雷であろう百合を考えることができてしまう脆弱性10について書きました。
これが意味するところは、ジャンルに分類されるかどうかと、そのジャンルの市場に受け入れられるかどうかは、全く別の話だということです。

つまり、定義上は百合というジャンルに分類されるコンテンツであったにせよ、必ずしもそのコンテンツを百合作品として市場に展開するべきではないということです。
マーケティング戦略上、百合好き・百合オタクに向けて発信すべきものではない可能性がある、ということですね。
売り込む作品に百合というタグをつけるべきかどうかは、その作品の傾向が市場の百合好き・百合オタクに広く受け入れられるかどうかを分析した上で判断しなければなりません。11

さて、先程あげた極端な例であればタグをつけるべきでないという判断はしやすい12のであまり問題にならないのですが、事はそう単純ではありません。

本当に、このコンテンツが百合作品として百合好き・百合オタクに受け入れられるか?

その分析が正しくできるかと言われたら、筆者には全く自信がありません。
百合という言葉の意味は、誰の百合をも否定しない方向へと拡張13されてきました。
結果として、百合好き・百合オタクの求める百合も無数に広がり、いったい何が百合作品として広く受け入れられるのか、判断がしにくい時代になっているのです。
百合という言葉のマーケティング上の意味が薄れている14と言い換えても良いでしょう。

相応の覚悟がなければ、百合という言葉を使うべきでないとする言説も見かけました。
筆者は、そうあってほしくないとも思っています。
売り込みのために覚悟を求められてしまうジャンルは、衰退する他ありません。

結論

百合とは、 女性同士の関係や感情、またはそれにフォーカスしたもの であり、その定義は現時点では必要十分として扱うが、将来に渡ってそうであるとは限らない。
定義上、百合に分類される作品であっても、百合のタグをつけて市場に展開すべきとは限らない。

あまり劇的に変わったり、問いへの答えを明確に得たというわけではありませんが、ひとまず現時点での理解を言語化しました。
自分の中にある理解を言語化しておけば、異なる思想や無理解に出会った際にも心を乱さずに済むというものです。

自分が好きなものに対して、それが何であるかを理解しようとする行為は自然なものです。
できるだけ理路整然と、その理解を説明できるようになることも、自分の感情を守るためには重要です。
筆者と異なる理解を持っている方は、ぜひその理解を丁寧に言語化してみてください。


  1. 漫画、小説、アニメ、ゲームなど、主にコンテンツ。
  2. ヘテロ(作品)と呼ばれることもあるが、筆者としては蔑称のように感じられてあまり好きな表現ではない。
  3. 統計を取ったわけではないので、実際に真かどうかはわからない。筆者の観測範囲においては概ねそういう傾向が見て取れるが、一般に真であるかどうかはそれだけでは断定できない。
  4. 仮に存在したとして、その存在を証明できない。
  5. 百合であるためには、女性同士の感情や関係にフォーカスしている必要がある。という文章は特に違和感なく受け入れられる。
  6. これも、筆者の観測範囲をベースにした推測にすぎないが。
  7. 男性性を含む。
  8. 最近では大正百合物語が該当する。
  9. つうかあとか。
  10. 対象が百合に分類されるかどうか、だけで判断すると地雷を踏む危険性がある。これを脆弱性と呼んでいる。
  11. もし受け入れられないと判断した場合、百合好き・百合オタクはコンテンツのメインターゲットではないことになる。
  12. 個人的な感情だけで言えば明らかにタグをつけるべきでないと言い切りたいが、明らかと言い切るにはデータの客観性が足りない。
  13. あるいは、理解。
  14. 販売戦略において有効に活用するのが難しくなっているため、使いにくい言葉になってしまっている。