【百合】なぜ、百合とレズを区別したがる人が少なくないのか

目次

  1. 百合とレズは違うものであるか
    1. 百合
    2. レズビアン
  2. 百合とレズを区別する傾向はどんな人物にあるか
    1. では、彼らはレズビアンを否定しているのか
    2. 無関心は悪か
  3. 逆の可能性はなかったか
  4. で、百合とレズは区別されるべきなの?

レズは性的 百合は思いやり

こういう類の発言を見るたびに、「それっておかしくないかな」と思って色々考えるので、この際文章にしてしまおうという感じで書き連ねます。

百合とレズは違うものであるか

これを厳密に論じるには、それぞれの言葉が持つ意味について知らねばならない。
どちらの語も女性同性愛という意味である。

しかしながら、歴史的経緯を見れば百合という言葉は比較的新しく、レズビアンほど否定的に見られた歴史がない。

百合

この言葉が生まれたのは1970年代。つい40年ほど前のことである。
(それにしたって、筆者の生まれる前からある言葉ではあるが)

元々は薔薇族(雑誌名)の対義語として生まれた言葉という説が有力で、単に女性同性愛、あるいはそれを題材とした創作ジャンルを指す言葉であったようである。
参考:百合 (ジャンル) - wikipedia

レズビアンと比較すれば新しい語であり、創作物を表す言葉でもあった。
同性愛を異常視する考え方が少しずつ薄れてきた(あるいは、その考え方への反発が強まった)時期に生まれた言葉であることも考えれば、レズビアンよりも肯定的なニュアンスとして捉えられるのは(レズビアンが否定的に見られていた当時を知る人間であれば)自然なことかもしれない。

レズビアン

語源は紀元前の古代ギリシアまで遡り、女性同性愛を指す言葉として使われた記録は1870年頃からあるらしい。
こちらも単に女性同性愛を指す言葉のようである。
参考:レズビアン - wikipedia

日本ではいつ頃から使われた言葉なのか不明だが、遅くとも1955年には入ってきていたようである。
参考:北林透馬 - wikipedia

日本におけるこの言葉は、比較的後になってから生まれた百合と比較して、時代背景もありかなり否定的な意味を含んでいたと推測される。

百合とレズを区別する傾向はどんな人物にあるか

筆者の観測する範囲では、特に彼らが百合と呼ぶ少女同士の友愛(あるいはプラトニックな恋愛)を好む男性に多い。
彼らは往々にしてレズビアンという言葉に否定的なニュアンスを見出しているように感じる。

それはなぜかというと、日本が(海外がどうかは知らないが)ずっと抱えている教育の問題である。
同性愛すなわち異常という考え方を無意識のうちに伝播しているとか言うつもりはない。
同性愛に限らず、性的なものを否定的に捉える風潮を伝播し続けていることが問題なのだ。
積極的に肯定せよとは言わないが、否定することを是とすると時に悲劇的な勘違いを生み出してしまうのである。
(今話題のナントカレディースとかね)

そして悲しいかな、染み付いた教育というものはそう簡単には拭い去れるものではない。
ポルノのジャンルとして親しまれてきた「レズ物」の煽りを受け、レズビアンという言葉はそれなりに若い世代(20~30代)にとっても百合よりもだいぶ否定的なニュアンスを持つようになってしまったのである。
結果、否定的に取られる「性的」なものと「レズビアン」という言葉が結びつき、その対極にあるきれいなものとして「百合」という言葉が好まれるようになったのだ。

人間、自分の好きなものに対しては否定的な名前をつけたくないものである。

では、彼らはレズビアンを否定しているのか

実はこれも違う。
レズビアンという言葉になんとなく否定的なニュアンスを感じてしまう、というだけで、レズビアンそのものを否定しているわけではない。

彼らに女性同性愛そのものを否定する意図はなく、同性同士の性行為も嫌悪しているわけではない。
彼らが欲していたのは好きなものとそうでないものを選り分ける名称であって、嫌いなものを否定する言葉ではない。
すなわち、自分が好む百合以外の同性愛への驚くべき関心の無さがここに見えている。

無関心は悪か

むしろ現代社会においては美徳である。
否定しないでそっとしておいてくれ、というのは筆者含め、サブカルどっぷりのオタクの大勢が感じたことのある気持ちであろう。
否定されるのも、変に意識されるのもどっちも地獄なのだ。
であれば、この無関心という状態がなんと心地よく理想的であるかは、言うまでもあるまい。

逆の可能性はなかったか

例えば、言葉の使われ方として「百合」と「レズビアン」が逆転している世界を想像してみてほしい。
想像するのがめちゃくちゃ難しいはずだ。
これまで述べてきた歴史的経緯や教育的な経緯、そして日本語としての音節の関係上、これらの言葉が逆転して使われることは考えにくい。

5音節あり、濁点が2つ含まれる語は「強そう」とか「ごつい」イメージを与え、可憐な少女たちがきゃっきゃうふふする優しい世界のイメージにそぐわないのだ。
参考:レズ・レズビアン・ビアン(2) - ビアン通信

歴史的な経緯がもしなかったとしても、「なんだかレオパルドンみたいで強そう」くらいの理由で、百合という言葉が用いられるようになっていたに違いない。

で、百合とレズは区別されるべきなの?

好きにしたまえ、としか言えない。
しかしながら、「百合が性的なものを一切含まない」とする主張には筆者は賛同しかねる。

男女間で恋愛の先に性行為があることを自然に認めながら、同性同士でそれを許さないのはダブルスタンダードと言わざるを得ない。
好きになれとは言わんが、百合という言葉が非常に広い意味を持った(持ってしまった)言葉であることはご理解いただきたいのだ。