【小説感想】金田一耕助ファイル 全22冊合本版
目次
百合作品ばかり読み漁っている豚が、10万ページを超える日本の代表的ミステリ作品群を読み切ったというのはいったいどういう心境だったのであろうか。
この記事は、金田一耕助シリーズを読み始めた経緯からはじめ、全て読了した際の筆者の感慨についても、読者諸賢にお伝えするものである。
古い作品とはいえミステリ作品を扱う以上、未読の方は金田一耕助に関するネタバレを覚悟してお読みいただきたい。
幾度も映像化された作品群であるものの、映像と原作とでは内容が大きく違うケースもある。
経緯
筆者は特別にミステリ狂いというわけではないが、金田一少年の事件簿はとても好きだ。
最近は犯人たちの事件簿や37歳の事件簿とスピンオフ展開も多く、それもそれで楽しんでいる。
アガサ・クリスティを読んだりしたときの興奮も10年以上前の話ながら、未だに思い出せるので、ミステリは好きなのだと思う。
そして、当ブログの記事をいくらかでもお読みの読者諸君にあっては、筆者が救いがたい百合豚であるということは言うまでもあるまい。
そんな筆者が2019年の3月に出会ったのが、花園に来たる嵐だ。
百合+ミステリ。欲しい要素しかない作品の登場による筆者の喜びは言うまでもない。
そこで早速と読了したが、最も大きな読後感は物足りなさであった。
百合としても良いシーンは(ややあっさりめの描写ではあったが)いくらもあり、サスペンス風味で主人公や探偵役が駆けずり回る様は、かつて劇場で見た天使と悪魔1を思い出す類のもので、良いスリルもあった。
ただし、肝心のミステリ部分はというと、これがかなりあっさりとしていて、物足りない。
どうにも筆者がミステリに求める要素が欠けていたのである。
金田一少年やアガサにあって、この作品にないものとはいったいなんだろう。
ミステリというジャンルの中にあって重要な役割を演じるその要素、キイとはいったいなにか。
金田一少年の面白さは、視覚化されたトリックとそれを解明していくヒーロー金田一少年、そしてそれを取り巻く剣持警部や明智警視、美雪や佐木といったサブキャラクターの活躍、容疑者同士のギスギスした人間関係に、犯人の動機と激しい殺意をしっかり描くところにある。
アガサで言えば、探偵役はミス・マープルやエルキュール・ポアロ、サブキャラクターはヘイスティングズで、動機や殺意に関してはあっさり書かれがちだったと記憶しているが、あっさりながらも内容は激しいものであり、一読者として戦慄を感じずにはいられない類のものであった。
今ここで、金田一耕助ファイルを一通り読了したからこそ、花園に来たる嵐にとって最も足りなかったものが犯人に関する心理描写の不足2であることに気がついたのだが、当時の筆者はただ漠然とした物足りなさを抱え、それが何であるかわからないもどかしさに悶えていた。
ガッツリとしたミステリが欲しい。
そうして探してたどり着いたのが、この金田一耕助ファイルであったというわけだ。
シナリオの傾向
よれよれの袴にもじゃもじゃ頭の風采の上がらぬ男が目をしょぼしょぼさせながらも、抜群の推理力で(主に殺人)事件を解決していく。
基本的に事件は身も凍るようなおぞましい演出がなされたり、複数の思惑が絡み合って複雑な形として提示されたりするのだが、金田一耕助はこれを一つずつ解きほぐして、最後には解決に導く。
とにかくショッキングな演出が多く、序盤だけを読んでも解決への道のりが全く想像できないというところから始まって、捜査や冒険を経て解決に向かう話の書き方は、金田一少年シリーズもこれに見習って書かれたのであろうと思われる節があり、そういった視点で読んでも面白いものであった。
時代は昭和戦前~戦後。戦前の話は少なく3ほとんどが戦後昭和二十年頃から、最後の事件である病院坂の首縊りの家の解決は昭和四十八年で、たびたび時代を反映した社会の様子であるとか、価値観が描かれる。
戦後復員してくる男性たちであるとか、残された女性のたくましさを描いていたり、戦争そのものを直接描くことは少ないが、戦争の影響で失われたものについて言及することはたびたびある。
女性というものが社会進出を始める前後の時代を描いているためか、あらゆる意味で強い女性が多く登場する印象がある。
それでいて男性の描き方も粗雑なところがなく、かなり綿密に人物を描くため、犯人に限らず心理描写にかなりの文字が割かれている。
当時の人の心、価値観、そして時代の変遷を描いた作品として、とても楽しく読めた。
犯人の激しい感情やそれを取り巻くがんじがらめの事情に時折、戦慄が背筋を貫いて走り、またそぞろ惻隠の情を禁じえなかったりした。
描かれた時代やその価値観
同性愛に厳しい
時代が時代なので、同性愛に対してかなり否定的な価値観が描かれている。
三つ首塔では同性愛を悪徳とか地獄とか言って否定している。
次に収録されていた七つの仮面でも忌まわしい関係と書き捨てられていたり、女王蜂でも、ある新聞に邪恋と書かれていたりする。時代を感じるものがある。
白と黒を読む頃にはマダムの様子からしてなるほど、とあたりを付けられるくらいには作中で描かれており、否定的に描きつつも題材としては魅力的だったのかもしれない。
血筋や家柄に強くこだわる
昔の思想にありがちな、血筋や家柄にこだわる価値観がたびたび出てくる。
長男の嫁には良家の娘を。また、良家の娘側でも良い家柄に嫁ぐことを良しとする描写が登場する。
ただし、本陣殺人事件では家柄という言葉について、都会ではほとんど死滅語となっているが、農村ではいまなお生き生きと生きている、と書かれている。
家柄に対して直接言及することは少なくとも、三つ首党や女王蜂のように、親が子の結婚相手に対して深く介入する(あるいは、面倒を見る)ケースも多い。
悪魔の手毬唄では、村の勢力を二分する大きな家が登場する。
仮面舞踏会や病院坂の首縊りの家では、親子の血のつながりの有無が悲劇の引き金になっていたりもする。
動機はだいたい男女関係
例外はもちろんあるが、男女関係で殺人がよく起きる。
(血の繋がりはないが)親から子への道ならぬ恋であったり、NTRの復讐だったり、犯された写真を種にゆすられるのに我慢ならずに逆襲したり。
あまりにもえげつないので詳細に書くことは控えるが、悪霊島の犯人の動機はこの中でも群を抜いて狂気に満ちていたように思う。
妾の子が普通に出てくる
男が当たり前のように愛人を作ってその腹に種を落としていくケースが多々あり、それが原因で作中の登場人物の関係がこじれて複雑になっていく。
悪魔の寵児では公認妾なんて単語まで登場するので、当時としては当たり前のことだったのかもしれない。
財産税と農地改革による地主没落
昔はよく幅を利かせていた貴族や大地主の家柄だったのだが、昭和二十一年の財産税と続く二十二年以降の農地改革による小作への農地払い下げで没落した家、というのが幾度か登場する。
筆者の曽祖父の時代の出来事であり、今でも年輩の親戚から聞くような話だ。学生時代に近代史の勉強をしておけばもう少しすんなり読めたろうに、とも思う。
おばあちゃんつよい
金田一耕助作品には、たびたび強い老婆が登場する。
強いとは腕っぷしとかそういうものではなく、年の割に若々しくしっかりしていたり、家を切り盛りしていたり果ては大産業を牛耳っていたりする。
そういった強かな年輩の女性が描かれることが多い。
人面瘡のお柳様、迷路荘の惨劇の糸女、悪魔の手毬唄のご隠居、仮面舞踏会の笛小路篤子、病院坂の首縊りの家の法眼弥生など。
過激すぎるグロはご法度?
死体の様子を克明に描写してしまうことを、読者の食欲の減退を心配して控えてくれたりする。
それでもエグい死体の描写が出てこないわけではないので、気を強く持ったりその辺は想像力を落として読むほうが良いかもしれない。
登場人物
金田一耕助
よれよれの袴にもじゃもじゃ頭の、風采の上がらぬ男。
初期の本陣殺人事件の頃では二十代半ばと見られていて、それから三十六年後の最後の事件では全然年を取らないと等々力警部に言われていたりする。
かなりだらしない人物で、興奮するともじゃもじゃ頭をやたらに引っ掻き回す癖があり、フケが飛ぶところまで描写される清潔感のなさは現代の若者としては少し抵抗を感じる。
それでも不思議と人を惹きつける魅力があるようで、いくらか読んでいくうちに、もじゃもじゃ頭を引っ掻き回し始めたら、「お、来たな」と思えるほどになっていた。文字で書かれた勝利BGMである。
病院坂の首縊りの家を最後にしてアメリカへ渡ったまま行方をくらましている。
あの最後を読み終わった後の、もう彼の新しい活躍を読むことはできないのかという寂しさというか、一種の虚脱感は、彼が事件の真相にたどり着いた後に感じるそれと似た感情なのかもしれない。
特に女性と関係を持ったという話が出てこないので、孫どころか息子すらいないのではなかろうか。
磯川常次郎
岡山県警の古狸。金田一耕助の相棒その1。
瀬戸内海や中国地方を舞台とする事件のときに、金田一耕助の相棒として活躍する。
悪魔の手毬唄の〆にはなかなかかわいいところがあり、割とメインヒロインの一人とも言える。
等々力大志
警視庁の警部。病院坂の首縊りの家の後半では定年退職し、探偵事務所を開いている。金田一耕助の相棒その2。
関東地方を舞台とする事件のときにはだいたい彼が出てくる。
磯川警部に比べてお茶目さは控えめだが、これもまたメインヒロイン。
その他のサブキャラクター
金田一耕助や二人の警部以外にも、金田一耕助を支える人々がたびたび登場する。
アメリカで出会い、探偵業を開くためのパトロンになってくれた久保銀蔵。
風間建設という大企業を持つ、金田一耕助の中学時代の同級生にして、作中でのパトロンである風間俊六。
やんちゃしていたが金田一耕助と出会って改心し、作中では彼の重要な情報源として駆け回る多聞修。
いずれも金田一耕助を助けてくれる人たちで、作中で重要な役割を果たすこともしばしば。
印象に残った作品
獄門島
初期の頃は金田一耕助が解決した代表的な事件として扱われており、他の作品でもたびたび名前が登場する。
教養ある人が読めば、宝井其角のうぐいすの句もすっとわかったのだろうが、筆者はそのあたりがさっぱり抜けており、グーグル先生になんとかしてもらいながらやっとかっと読んだクチである。
見事な三つの見立て殺人であり、金田一少年にも受け継がれているオーソドックスなタイプの事件で、読んでいてワクワクした。
悪魔の手毬唄でもそうだったが、若い女の子を殺しすぎである。
犬神家の一族
湖面から逆さになった人の足が出てるショッキングな絵面だけが有名になってしまった作品。
これもヨキ・コト・キクの三つの見立て殺人だが、見事なのは意図しない共犯者による読者へのミスリードで、静馬と佐清の関係を読んでからはハラハラしながらページを捲らねばならなかった。
しかし、菊乃さんがあまりに不憫すぎる……。
蝙蝠と蛞蝓
短編。第三者視点で描かれた作品で、金田一耕助を蝙蝠と揶揄していたのが、最後には蝙蝠好きになっているちょろさが良い。
夜歩く
アガサで読んだことあるぞこれー! というやつ。いわゆるシェパード医師。
女王蜂
家庭教師の女性がロケットの中に教え子の女の子の写真を……まさか百合か!?
と思ったら隠れ蓑だったやつ。畜生。
三つ首塔
探偵モノというよりはサスペンス、冒険モノ。
金田一耕助の主な出番が終盤、いよいよ良いところだけ持っていくというのもなかなか。
暗澹たる気持ちになりやすい金田一耕助ファイルの中では珍しく、後味が良い。
七つの仮面
百合だけどやべえやつ。常体と敬体がひたすら混ざっていて読みにくいが、視点の主が書き慣れていない設定なのだろう。
聖女の胸像と絡めた最後の描写がすっごい好き。
悪霊島
上下巻に分かれる長編。
犯人の狂いっぷりがやばいし、その末路も因果な感じで良い。
推理というよりは冒険モノに近く、それでも徐々に真実に近づいていくので飽きずに読める。
磯川警部がじっくり描かれるところも好き。
ただ、明治二十六年以前の古銭がなぜ、浅井はるの家の味噌がめの底にあったのかは謎のまま。
荒木清吉の巾着に入っていたのはまだ強引なこじつけが可能だが、浅井はるに至ってはどうもこうもこじつけられない。
片帆殺害の動機は、片帆が真帆に対して島を出る話をしているのが千畳敷きであったことや、古銭を持っていたことから類推することは可能。
病院坂の首縊りの家
金田一耕助最後の事件。
解決まで作中で二十年を費やす大長編で、上下巻に分かれている。
生首風鈴というショッキングな死体もそうだが、その動機やら思惑やらがかなり丁寧に描かれていて、とても読みやすい。
最後に金田一耕助がアメリカへ渡ったきり行方不明になっており、読了後の寂寥感が半端ない。
総評
人の、特に犯人の心理をかなり丁寧に描写しており、読み始める前に感じていた物足りなさは十分以上に満たされたと言えよう。
しかし、合計で10万ページ以上もある長い作品であり、3月から詠み始めていたので7ヶ月以上同じシリーズを読み続けていたことになる。
思いがけず百合に出会ったと思ったら隠れ蓑だったとか、そういう揺さぶりも含めてとても楽しめた。
当分ミステリは良いかな、と思えるくらいにガッツリ読んだので、非常に満足している。