親の介護・葬儀・相続が終わった話
タイトルにあるように、本記事はあまり明るい話ではない。
貴重な体験であったため、個人の特定ができないよう工夫をした上でこの経験を公開する。
介護
母に癌が見つかった。
大腸がんで、早期発見だから切除してしまえば完治するだろうと言われていた。
切除して人工肛門をつけていたが、本人は完治した後にはそれを元に戻してもらうつもりでいた。
ところが、半年以上経って、癌が全身に転移してどうしようもない状態になっていることが発覚した。
担当の先生も困惑しておられたが、おそらく別の箇所に潜伏していた癌が転移したのだろうということだった。
さて、癌治療だが、CVポートという穴を首と脇の間に開け、そこから抗がん剤を投与するというものだった。
のだが、CVポートを開ける手術の後、いざ抗がん剤治療を始めようというところで、母がコロナウィルスに感染していたことが発覚。治るまで出てくるなと家に帰らされ、しばらく安静にしていなければならなくなった。
当時、筆者も風邪を引いて、二人してぐったりしながら生活していた。
2週間程度してようやくコロナから立ち直り、抗がん剤治療が始まった。
病院でレクチャーを受けた後は、2週間に1回抗がん剤の投与のため通院し、CVポートに抗がん剤投与の針を刺して帰ってくる。2日ほど経った後、投与が終わったことを確認してCVポートから針を抜くという、闘病生活であった。
抗がん剤の副作用で、冷たいものを飲んだり食べたりできなくなっていて、投与の翌日くらいまでは液体をある程度以上の量飲もうとすると喉が痙攣して息ができなくなってしまうことがあった。
朝、呼吸困難になっているときのうめき声で飛び起きたのは、1回や2回ではなかった。
癌転移の宣告を受けた後、母が自覚してしまったからか、それからはみるみる悪化し、まっすぐ立ち上がったり寝たりできない体になってしまった。
癌が背骨に転移し、腰の骨が潰れてしまって足の付け根が異常に痛む状態になっていた。
最初こそコルセットを着けてなんとかしようとしていたが、コルセットはうまく固定できずズルズルと上へ上がってきてしまうため、コルセットを着け続けることもできなかった。
やがて、自力で立ち上がることもできなくなり、要介護認定を受けて、介護支援の会社を通して歩行器を借りて生活することになった。
歩行器があれば、腰は曲がった状態だがなんとか歩ける、という状態だった。
筆者は2週間に1回の通院に付き添ったり、日々の食事を用意したりと、24時間つきっきりではないものの、それなりに介護に時間を割いていた。
ただ、自分でできることは自分でやろうとする人だったし、歩くこともできないわけではなかったので、そこまでガッツリ介護漬けの生活というわけでもなかった。
仕事はフルリモートでできていた1し、余暇の時間を趣味に費やすこともできていた。
一緒に生活していたのは自分だけだったが、妹も週一くらいの頻度で様子を見に来てくれた。
そういう意味では、介護で苦しんでいた、というほどでもなかったと思う。
最も苦しかったのは母の容態が悪化してからで、この頃になるとすぐに息切れしたり2、自力でトイレに成功できず、痛みで悲鳴を上げたりと、同じ空間に居続けることによる消耗がかなり激しくなっていた。
トイレは人工肛門である都合上、便器と正面から向かい合ってするのだが、最初はちょうど良い高さの台座がなく、腰の骨が潰れてしまっているために自分の体を支えていられないので、とにかく失敗していた。
小さい台座を買って多少はマシになったが、それでもトイレの処理には姿勢の都合からか激しい痛みが伴うらしく、「痛い痛い」という悲鳴を毎日聞くことになった。
トイレは痛いものであるという認識が根を生やし、晩期は食べたり飲んだりすることにさえ抵抗を覚えていた。
しかし、食事を取らなければ体力は落ちる一方である。
なんとか、何か口にしてくれないかと勧めると、ようやくご飯にお湯をかけたものを食べてくれる。そういう生活だった。
こんな状態になってもまだ働く気で、ハローワークにも行っていたのだから、金銭面での不安は相当なものだったのだろう。ここは、もっと安心させてやれればよかったと、後悔するばかりである。
その他に苦しかったのは、母の精神面の余裕のなさが見えてしまったことだった。
元々気難しい人ではあったが、その傾向が悪化し、自分の不注意で間違ったのに他者を責める場面が目立つようになった。
今は、こうはなるまいと思えているが、将来自分がこうなってしまう可能性を考えると暗澹とした気持ちになった。
死亡
ある日、2週間に1度の通院でいつものように抗がん剤治療を受ける予定だったのだが、そこで先生に「すぐに入院してください」と言われた。
間質性肺炎が見つかり、癌自体は小さくなっているが肺機能が低下している。すぐに入院して治療を受けなければ危ないということだった。
毎日のようにトイレからの悲鳴を聞いていた当時は、正直なところホッとした。
家にいるより、病院でしっかり見てもらったほうがずっと良いだろうと思っていたからだ。
本人は家にいることを望んでいたので、筆者から入院について言い出すことはなかったが、先生の言葉であれば素直に聞き入れてくれる人だったので、このときはかなり安心した。
1週間くらいは悲鳴を聞かずに、心穏やかに過ごせるだろう、などと薄情な考えを持っていたが、結局、今後一生母の生声を聞くことはできなくなったのである。
入院して2日、金曜の昼間に、医者の先生から電話が入った。
かなり深刻なトーンで、週末を越えられるかどうかも怪しいという話をされた。
この時ばかりは、仕事を切り上げて、すぐに病院へと向かった。
まだこの時は、本人と話ができたように記憶している。
ひとまず肺炎の治療を続けるということになり、帰宅。
日曜の昼間に電話が来て、何事かと思ったら「連続テレビ小説を録画しておいてくれ」と言われた。
言われた通りにしたが、結局、その翌日に母は亡くなった。
病院から連絡をもらい、駆けつけた時には、もう会話ができる最後の機会だった。
夕方頃だっただろうか、苦しくないように眠り薬を投与することになり、看護師から「何か言い残したことはあるか」と聞かれ、母は「もう伝えるべきことはすべて伝えました」と答えた。
明確に意識を持って話した最後の言葉だったように思う。
夜、呼吸を補助する機器を自分で外そうとしていたが、おそらく無意識の行為だったのだろう。
「暑い」とか「オッケーです」とか言っていたが、意識があったかどうか疑わしい様子だった。
しばらくすると眠り薬が効いて、ぐうぐうと唸るような音を出しながら深く呼吸していたが、その日の夜のうちに、呼吸は止まった。
眠るように穏やかに、ゆっくりと弱々しい呼吸がスッと止まった。
脈拍が弱くなっては戻って、を繰り返していて、いつまでこの状態が続くのか不安にもなっていたので、ここでも正直なところ、安心した気持ちはあった。
看護師が医者の先生を呼んでくれて、その場で死亡診断がなされた。
ずっと口で呼吸していたからか、看護師が母の身なりを整えてくれるときにはすでに、口が開いた状態で固まりかけてしまっていた。
生前、こんな顔で寝てたよなあと、妹と一緒に笑った。3
葬儀
大きな病院だったので、葬儀屋と提携しており、葬儀に関する手続きはその日のうちにあれよあれよと進んでいった。
霊安室に母を送り届けてから、近くの部屋で葬儀屋と話をした。
棺はどれが良いとか、骨壺はこの若さなら大きめが良いとか、そういう話もあったが、死亡診断書があれば死亡届を出したり、コピーを取ったりまでやってくれるかなり至れり尽くせりな感じだった。
死後手続きをまとめた「お悔やみハンドブック」ももらえた。中身を見ればどんな手続をすれば良いかがわかるようになっている。
喪主として執り行う初の葬儀だったので、筆者もここで知ったのだが、葬儀は、かなり高い。
平日の昼間にすることになるだろうし、どうせ親戚付き合いもそんなにないだろうと高をくくって、簡単な火葬式だけにしようと妹と話し、最低限ちゃんと送ってやるプランという感じにしたが、それでも35万かかった。
棺が12万、火葬自体に9万、他は遺体の状態をよく保つためのドライアイスや、納棺花、休憩室、霊柩車、骨壺、諸経費で、内訳を見ればまあこのくらいはかかるなという感じではあるが、トータルの金額を見ると懐へのダメージは小さくない。
簡単な火葬式にしたからこれだけで済んだのであって、もっとちゃんとした葬式4をやろうとすると倍以上かかる。5
親戚については、叔母が最も親交があったので、ひとまず叔母に連絡。
すると、またたく間に親戚中に広まり、最終的には10人くらいの規模になっていた。
正直、田舎の感覚を甘く見ていた。6
平日の昼間であったにも関わらず、叔母一家、従弟一家に、いとこおじ、いとこおば7が駆けつけてくれた。
いとこおじは幼い頃に一度だけ会ったことがあり、なんと、同業者であった。
いとこおばは初めて会ったが、母から一度だけ話を聞いたことがあり、存在は認識していた。叔母曰く、とても仲が良かったらしい。
お陰で休憩室をちゃんとした部屋にすることになったが、せいぜい+1万程度で済んだので、全体から見ればたいしたことない額であった。
これだけ集まってくれたのは素直に嬉しく、今後はもうちょい親戚付き合いを重視しても良いんじゃないかと思えた。8
喪主ではあったが、特に挨拶などはなく、火葬して収骨し、その場で解散という感じだった。
一応、挨拶を考えてはおいたのだがその時間はなかったし、いざ火葬となるといろんなことを考えてしまい、結局考えていた内容はどこかへ消えた。
花入れできれいな母を見納めて、火葬炉に入っていくのを見送った。
収骨の時に、職員の人がここはどこそこの骨で、というようなことを説明してくれた。
骨壺に収める時には、基本的に足から順番におさめて、頭のほうの骨を最後にするらしい。
集まった面々で2人ずつ交代で収骨していった。
その場にいた人数だけではなく、他の親戚からも預かってきてくれたものがあり、香典は35万の葬儀代すべてとまでは行かなくとも、かなりの部分を賄える額になっていた。9
片付け
もっと生前から片付けを断行していればよかったのかも、と後悔するくらいにはモノで溢れていた。
20年前、30年前の書類がわさわさと出てくるので、とにかくゴミを大量に出した。
実家については後述するが、売却することにしたので、大型の家具類はほとんど処分することにした。
とにかく手分けして粗大ごみを出したり、業者に持っていってもらったりして、ほとんどすべての家具を撤去した。
死後手続き
定期購読・クレカの停止・スマホ解約
まずは定期購読系やクレカを止めることとした。
幸い、生活インフラの料金については前々から引き継いで払う体制にしていたので、電気水道ガスは全く気にしなくて良かった。
その他は、電話連絡したり郵送したりで諸々を止めた。
止める際に参考になるのが、故人の通帳にある履歴となる。
また、定期支払や、クレカの支払いが残っている場合には、銀行への相続手続きの申出を少し遅らせることで、故人の口座からちゃんと引き落としてもらうと良い。
スマホの契約は早めに手続を進めること。
docomoショップは予約制で、事前に予約しないと解約手続きを進められなかった。10
年金
年金に関する手続きもあった。
このあたりは故人の年齢や状況に応じて色々あると思うが、年金の場合は特に、未支給の年金を請求できる仕組みがある。
葬祭費も自治体によっていくらか負担してくれるので、ちゃんと申請して葬儀で懐に受けたダメージを緩和していくのが望ましい。
準確定申告
死亡した年に収入があった。
年金額は大したことがなく、その意味では準確定申告必須ではないのだが、2箇所以上から給与を得ている期間があったため、準確定申告しなければならない。
昨年の源泉徴収票が残っていたので、そこから辿って職場を特定。源泉徴収票を回収することに成功した。
準確定申告は電子申告可能で、そのためにはe-taxソフトを使う必要がある。
そのためには、ICカードリーダライタでマイナンバーカードを読み取る機材が必要になる。11
e-taxソフトでは所得税の確定申告書は昨年分までしか書式がなく、どうもこういう場合は昨年分を使って書くらしい。
電子証明書
e-taxソフトを使って電子申告するためには電子証明書が必要であり、マイナンバーカードを用意しておく必要があるが、電子証明書の有効期限はマイナンバーカード自体の有効期限10年の半分で、5年しかないことに注意。
しかも、カードを見ても電子証明書の期限は書かれていない。12
筆者は電子証明書の有効期限を更新したことをすっかり忘れて、役所へ行って手続きしてもらおうとした。そこで、「もう更新されてますね」と言われて帰ってきたというわけだ。
有効期限を更新する場合、窓口での手続きから24時間は利用不可のままらしいので、慌てて更新、なんてことがないようにされたい。
ICカードリーダライタでマイナンバーカードを読み取れるようになったら、JPKI利用者ソフトで自分の証明書の電子証明書有効性を確認する。
確認できたら、e-taxソフトで利用可能となる。
医療費控除
医療費の洗い出しがまず地獄。
ストーマ装具13の料金を計上するには医師による証明書の発行が必要だが、これも結構かさんでいる。
とは言え、ストーマ装具合計を全部除いても控除額がかなりあって、実質所得ゼロ扱いだったので、ストーマ装具分は特に計上しないことにした。
なお、介護用品のレンタルについては医療費控除対象外なので考慮しなくても良い。
準確定申告の確認書
確定申告を行うからには、納付や還付が発生する。
故人の準確定申告でも同様で、それらは誰が払う/もらうのかというのを特定せねばならない。
死亡した者の所得税及び復興特別所得税の確定申告書付表で相続人は特定できるはずである。
しかし、準確定申告の内容を確認したというのと、相続人代表者に手続き書類の提出を委託するよという文面の書かれた「準確定申告の確認書」も提出する必要がある。
これは相続人全員の署名が必須となるため、電子申告であっても手書きしなければならない。
テンプレートを国税庁ウェブサイトからダウンロードし、印刷して署名、その後スキャンしてPDF化し、PDFを提出することになる。14
イメージデータ添付の方法も、説明が全く不足していてなかなか理解できない。
申告・申請等の新規作成から、申告 → 所得税 → 昨年分を選択する。
その後、一番下のイメージ添付書類(所得税申告)を選択する。
その添付書類送付書に、PDF化した準確定申告の確認書を組み込む。
署名・送信
ここまでで、準確定申告のために提出する申告を2つ作成した。
片方が確定申告書含む、種々の申告書。もう片方が準確定申告の確認書を含む添付書類だ。
それぞれ、電子証明書を使って署名する必要がある。
署名したら、送信可能となるので、確認書を含む添付書類を確定申告書に紐づけてから送信する。
相続
銀行口座と不動産の相続があり、手続きを進める必要があった。
銀行口座預金
銀行によってはwebで相続手続きの受付をしてくれるところもあり、その流れが広まってくれると嬉しいなと思うなどした。
ゆうちょ、りそなは銀行へ直接出向かなければ受付できない。
みずほはweb受付はあるものの、平日の昼間しか使えないらしい。15
三井住友だか三菱東京UFJだか忘れたが、web受付に営業用のアンケートをくっつけているところがあり、うまいやり方だと感心した。
なお、相続については、被相続人16の出生から死亡までの戸籍を証明する書類が必要になる。
出生や引っ越し、法改正、結婚、離婚で戸籍が変わるため、それらの過程すべてを遡って取得する必要があり、そのように役所に依頼して、後日発行されたものを取りに行く必要があった。17
また、相続のためには相続人の戸籍証明が必須、かつ印鑑登録証明書を要求される場合もあり、これらの書類を揃えるために役所へ足繁く通うことになる。
複数の銀行口座だったり、銀行口座と不動産を相続する、といった場合にはそれぞれについて上記の役所が発行する証明書類が必要になるが、今は法定相続情報証明制度があるため、そちらを利用するのが良いだろう。
これら戸籍の証明などは、特に故人の出生から死亡までの戸籍証明は発行までの手続きが長引きがちで、必要数を最初にすべて把握して発行してもらうならまだしも、そうでない場合にめちゃくちゃ面倒なことになる。
一度書類を揃えて、法定相続情報一覧図を作成して法務局に保管してもらうことで、この一覧図の写しを発行してもらえるようになり、写しだけで18被相続人や相続人の戸籍証明の代用として使えるようになる。
ただし、管轄の法務局19に行く必要があり、単に役所にだけ通えば良いわけではないことに注意。
法定相続情報一覧図はテンプレが法務局のサイトで公開されているが、エクセル形式。20
エクセル形式を落としてスプレッドシートにインポートしてから書いても良いが、その場合は入力欄の黄色い部分を白く直す必要があることに注意。
そうしないと白黒印刷した際に網掛けになり、網掛けの背景があると一覧図として受理してもらえない。21
セブン銀行、三井住友銀行の相続は、手続き依頼書や念書で、北朝鮮に金を流さないことを約束させられる。
三菱UFJ銀行は、相続人に北朝鮮在住者がいるかどうかの確認チェックだけだったが、いると答えた場合は手続きが面倒になるものと思われる。
みずほ銀行は、北朝鮮在住または資産凍結等経済制裁対象者のチェックになっている。
ゆうちょ銀行は、郵便局の貯金窓口で手続きできる。
100万以下だと? 少額なので、法定相続人全員の捺印署名とか、印鑑登録証明書とか不要22でその場で手続きできる。
ン十万をポンと手渡しで払い戻されて、ちょっと引いた。なるほど、少額ね。
不動産の売却
実家がかなり良い場所にあったため、相場がかなり高額であった。
公平な分割のためには売却する他なかろうということで妹と合意した。
不動産屋に査定に来てもらう他、引っ越し先を見繕ったり、相続登記したり、抵当権も考える必要がある。
4社に査定依頼をして、それぞれの特徴を見た。
そのうち1社は相続によってという話をしたらそこに同情した様子を見せてきたが、売却や査定などの話に全く印象が残らなかった。
しっかり売ることを意識した他3社のうち、1社がかなり高い金額を提示してきて、なおかつ営業もうまかったので、そこを選んだ。
高預かり23ではないかと危惧することもあったのだが、最終的には他社の査定額上限より高い金額で買い取ってもらえたので、悪くない結果だったように思う。
不動産の相続登記
これは売却活動開始前後で済ませたことだが、記載しておく。
土地や建物を相続した場合、登記簿上の名義を変更する手続き、いわゆる相続登記が必要となる。
相続登記は司法書士にお願いすることになると思っており、まずD不動産から紹介された司法書士の先生に相談をした。
登録免許税を除けばせいぜい数万程度で依頼できる。
ただ、調べたところbetter相続登記を使えばかなり金額を抑えられる。
ただし、こちらは登記申請書を作ってくれるだけで、提出等の手続きは自分でやる必要がある。
オンライン+郵送で完結はするっぽいので、時間をかければやれることはやれる。
結局、諸々の手間を考えて、司法書士の先生にお願いすることにした。
書類を送ってお金を払えば、後は待っているだけで終わる。
銀行口座の相続の際に作っておいた法定相続情報一覧図がここでも使えたため、司法書士の先生にそういった書類を揃える手間賃が発生しなかったのも、少額で済んだ要因のひとつだろう。
まとめ
親の介護・葬儀・相続を経験した。
介護が長引かなかったのは、ある種の幸運24であったと言える。
葬儀や片付けには金と時間がかかるため、たとえ独り身で生きていくとしてもこの分の蓄えはしておいたほうが良い。
死後の行政手続きは、しっかり駆使することで、このお金をある程度取り戻せる。
相続対象が複数ある場合や、法定相続人が複数名いる場合には、法定相続情報一覧図を作成し、法務局に保管してもらうことで相続手続きを円滑に進められる。
感傷に浸る暇がなかったとは言わないが、とにかく葬儀含め死後の手続きは忙しく、特に相続対象に不動産があり、それを売却するともなれば長い期間がかかる。
この記事が、こういった状況に直面してしまった場合の、ひとつの参考になれば幸いである。25
それから、まだ親が元気でいる読者におかれては、今のうちにちゃんと孝行しておいてほしい。26
孝行したいときに親はないものである。
- 会社がサイバー攻撃を受けててんやわんやではあったが。
- これは後になって、直接の死因となった間質性肺炎が原因であろうとわかった。
- その後、看護師の先生が母の頭に布を巻いてちゃんと口を閉じてくれた。
- 食事を出したりするやつ。
- その分、大勢来てくれるなら香典で多少は賄えるかも。
- 母の出身は北陸で、その辺りから関東に出てきた親戚がそこそこいた。
- 親のいとこを表す続柄はいとこおじ、いとこおばというらしい。
- せめて、喪中の年は無理であるにせよ、翌年から年賀状くらいは送っておきたい。
- が、香典返しを考えると、実際に使えるのは半分くらいだが。
- 他の会社も同様かもしれない。
- 手書き申請なら必要ない。また、確定申告周りは年々利便性が増しているので、そのうち準確定申告もスマホで完結できるようになるかも。
- 手書きで書く欄があるが、カード自体の更新の前に電子証明書を更新することを考えると、わざわざこの欄に手書きするか?という問題はある。
- 人工肛門をつける場合に、排泄物をためておく袋。
- かつては署名に加えて捺印も必要だったようだが、今は不要らしく、テンプレートからも捺印欄はなくなっている。
- webの意味とは?
- ここでは母。
- なお、住所地と本籍地が異なっていたため、依頼するためにも事前に予約しなければならなかった。
- 相続手続きにおいては
- あるいは出張所。
- PDFもあるが、印刷してから手書きすることになる。
- 他の必要書類を受け取っての審査はしてくれるので、後日修正版を提出すれば良いことにしてもらえた。
- ただし、法定相続情報一覧図や、手続き人の本人確認と署名捺印は必要。
- 高い査定額を提示し、とりあえず媒介契約を結ばせるやり方。
- と表現してしまうことに少なからず抵抗はあるものの、筆者にとっても母にとっても、最悪の結末でなかったのは確か。
- ただし、個人によって状況は異なるはずであるし、手続きについても日々更新される可能性がある。あくまで参考にとどめておいてほしい。
- これも親との関係次第ではあるけども。