琴崎さんがみてる 小説版の騒動を見ても百合オタクは理性的でありたい
一部百合オタクの暴走1が目に余るので、理性的でありたい百合オタクの言葉を記しておきます。
琴崎さんがみてる とは
YouTubeにて連載されている音声つき漫画作品。
名門お嬢様学校に通う琴崎イリアが、同学の女子同士のやり取りを観察しながら勝手に盛り上がるものだ。
騒動の経緯
電撃文庫から小説版の発売が決定されたが、そのタイトルとあらすじが問題になった。
琴崎さんがみてる ~俺の隣で百合カップルを観察する限界お嬢様~
俺は百合が好きだ。 隣にいる、琴崎さんも好きだ。
名門お嬢様学校が今年から共学化して、クラスに男子は俺ひとり。普通の男ならハーレム万歳みたいになるんだろうけどあいにく俺は……百合が好きだ。
そして、この学園には俺の同志がいる。
「はぁあああああ、尊いですわ……!」
幼馴染の琴崎さんと二人。
息を潜めて百合カップルを観察する。それが俺の……いや、俺たちのライフワークだ。
この楽しい時間をいつまでも続けていくため、俺には守るべきルールがある。
『琴崎さんを好きになってはいけない』
だって、百合を愛する観察者は、自分が当事者になってはいけないんだから。
女子校が共学化し、一人だけ入学してきた男子が主人公になるという、ハーメルンの二次創作か何かかと見紛うあらすじをお出しされたのである。
(おそらく大勢の)百合オタクにとって悪夢のような展開であることは一目瞭然で、筆者もこれを商業で出すのかと、面食らってしまった。
後日公開された、原作者インタビューの記事によって釈明されているが、その内容を理解できない百合オタクたちの怒りを鎮めるには至らなかった。
作品のフォーカスから見る琴崎さん
百合作品とは、女性同士の関係や感情にフォーカスした作品のことであると本記事では定義する。2
では、 琴崎さんがみてる
はこの定義に従ってみたとき、百合作品と呼べるだろうか。
本作のフォーカスは2つあり、琴崎さんが観察している対象同士の感情・関係と、更にその感情を観察している琴崎さんの感情だ。
百合というジャンルそのものに言及する百合作品ということで、メタ百合作品3とも呼ぶべき類のものだろう。
少なくとも、琴崎さんが観察している対象同士の感情・関係にフォーカスしているとき、 琴崎さんがみてる
は百合作品と呼んで良さそうである。
では、小説版で追加される感情・関係はどうだろうか。
追加される感情・関係は、主人公の男子と琴崎さんの間のもの、及び主人公の男子から観察対象同士の感情・関係に向けたものの2つだ。
追加される感情・関係の前者にフォーカスが寄りすぎてしまえば、それはただの男女ラブコメである。という主張も(多少論理の飛躍を感じはするが)理解はできる。
だが、本当にそうだろうか。
原作者インタビューやその後のtwitterの説明では、原作者はかなり実直に、自分の書きたいものを語っているように見える。
それを理解するためには、 琴崎さんがみてる
のターゲット層を理解しなければならない。
琴崎さんがみてるのターゲットと書きたいもの
原作者インタビューでは、 百合に触れたことがない人たちに向けて
とある。
YouTube版1話も、終盤まで見なければ百合を扱った作品であると確定できないようになっている。
これは言い換えれば、 百合に積極的に触れるつもりがない(が、触れればその魅力に気づけるかもしれない)人に向けて
作られた作品であるということだ。
「百合を愛する観察者は、自分が当事者になってはいけない」とする苦悩は、最近では土岐紅巴4などのキャラクターでしっかり描かれるようになってきている。
そこに、観測者が男性であるという要素を加えて自らの肉欲への忌避感・罪悪感を描くというのは、原作者の実体験によるもののようだ。
これは筆者の勝手な想像だが、原作者は過去の自分が抱いてしまった罪深い欲望に対する回答を描きたいのではないだろうか。
筆者も男性として、性欲は人並みにあるつもりだ。それでいて、自分がこの欲望を一般的な百合作品に対して向けたくないということも、当たり前の思想として持っている。
だが、それが当たり前でない層をターゲットにするのだとしたら、どうだろう。
ボコボコにされたガイアのコマ5をただ笑って眺めているだけの層に、アレが冗談で済まされない領域があると伝えるための作品であるとしたら。
絵柄の可愛らしさに反して、かなりシリアスな方向に突っ走っていくのではないか。
実際に読んでみないことには実際のところはわからないが、現在出ている情報から、 琴崎さんがみてる
小説版は百合そのものというよりも、百合観・百合との向き合い方を扱う作品になるのだろうと、筆者は推測している。
読みたい?
正直なところ、筆者としては興味がないわけではない。百合観について自分が出した回答とは、違うものが見られるかもしれないからだ。6 7
嫌いなものを批判を超えて攻撃して良い道理はない
作品への男性性の投入を蛇蝎の如く嫌悪する百合オタクが少なくないのもわかる。
それは原作者としてもおそらく理解はしているはずで、この騒動の中で作品のターゲットや小説版の意図について詳しく発表してくれたのは、かなり誠実な対応であったように思う。8
小説版 琴崎さんがみてる
のタイトルやあらすじ、YouTube版からの変更点に対する嫌悪感は、特に不自然なものではないし、それ自身を否定するつもりは毛頭ない。9
だが、実際に作品を読む前からその要素だけを取り出して火炙りにかけようとする行為は、騒動の欠片だけかいつまんであざ笑うような邪悪なまとめサイトによる扇動と何が違うというのか。
自分の嫌いな要素が含まれるので読みたくないと表明するだけならまだしも、それを超えて原作者の人間性や作品の存在そのものを攻撃するべきだろうか。
理性を失った百合オタクの暴走がどう思われるかを、想像できているだろうか。
ジャンルに帰属意識を表明しているオタクへのイメージ低下が、何を招くか想像できているだろうか。
自分の好きから少しでも外れた存在に対し、どんな罵詈雑言を叩きつけても良いとする態度は、必ず跳ね返ってくる。10
誰かの好きを否定すれば、自分の好きが否定されるのは必定だ。
今、自分が愛しているジャンルをできるだけ長く楽しみ続けるために、百合オタクとして理性的であり続けたいものである。
- 自身が特定の作品や作者、出版社やその思想、マーケティング手法等を嫌いであると表明するに留まらず、対象について批判を超えて攻撃するような発言を行う様。
- これは、既存のよく知られた定義から大きく逸脱するものではないと筆者は考えている。
- メタは概念自体を対象とする同種の概念のこと。メタ百合という言葉は 百合オタに百合はご法度です!? の作品紹介で利用されている。
- アサルトリリィ Last Bulletの登場人物。重度の百合オタク。
- 刃牙のコマが何故か独り歩きしてしまったネットスラング。詳細解説はpixiv百科事典に譲るが、人によってはマジで冗談じゃなく下劣なネタに感じられるものであるため、使うにしても相手は選ぶこと。
- 百合男子2巻以降が肌に合わなかった身としては、本作にも似た感想を抱いてしまうのではないかという不安もあるのだが。
- 百合観は気になるし、おそらくそこにフォーカスする作品なのだと思っているが、百合作品として楽しめるかというとそうではないとも予想している。
- 合わなければ買わない。それが消費者の自由というものだ。判断材料を事前に提示してくれたのだから、これ以上誠実な対応はあるまい。
- 筆者にしても、このメディア展開の仕方は上策とは思えない。百合オタクが煽られていると感じてしまうのも無理のないことだろう。
- それも自分のみではなく、自分が帰属意識を表明しているジャンル全体に向かって。